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Xなぜ自然保育の幼稚園は人気がないのか・・幼稚園の選び方

  • 2018/08/02 19:30

娘を幼稚園に入れてみて感じることがあります

 

娘が入園したのは、いわゆる自然保育的な幼稚園なのですが・・・

入ってみてびっくり! なんと1学年にたった1クラス。しかも16人しかいませんでした。超少ない園児の数!

 

しかも年中から3人追加で入ってきてこの人数。つまり年少の時は13人しか園児がいなかったということです。

大阪市内でですよ??


私が住む地域は、確かに古い町で高年齢化してきて子供は少ないとは感じますが、それを加味しても・・・少なすぎますよね。

大阪でもニュータウンなどは、関東と同じく保育園は順番待ちだそうで・・・幼稚園というのもありますが、待機児童のニュースをきいて、うちの近隣との環境のギャップにいつも驚いています

場所的に特殊なのか、公立の保育園?というのがない区で、私立幼稚園、私立保育園のみ。

しかも保育園はたった1件あるだけ。

 

少し話しがそれますが、たった1件の保育園は、とても狭い園庭に3階建ての校舎に、ぎゅーぎゅー詰めだそうで・・・(規律はもちろん守っているのでしょうが)
あそこ出の子供はたくましい・・とは姉の談ですが、それにしてもねぇ~。働くお母さんは仕方なく預けているのでしょうが、うちの娘は預けたくないな・・というのが本音です。

 

さて、本題に戻りますが、とにかくうちの娘が通う幼稚園は人気がない。
都市部なので、幼稚園がいっぱいありすぎるのでしょうか?
自転車で15分で行ける園なら 10~15園くらいは存在していると思います。

 

だからか、どの幼稚園も少ない子供に入園してもらおうと、独自の色を出そうと必死なんです。

遠方からバス保育で結構遠くから通う園児も当たり前。
でもあくまでお金儲けとかではなくて、サービスを維持するため、園を維持するために、どの幼稚園も、少ない子供を集めるのに必死なんだと思います。

 

でも、打ち出すサービスってのが「早期教育」と「お稽古事」ばかりなんですねぇ。

 

年長から足し算教える・・とか、英会話の先生が来る・・とか。
体育の先生が来る・・とか、プールで泳ぎを教えてもらえるとか。
それと、追加で5時まで預かってくれるとかのサービスとか。

 

いや~もう至れり尽くせりといった感じです。

たしかに、こういうサービスは集客するにはわかりやすいですよね。

 

例えば僕の家から一番近い、歩いて3分ほどの幼稚園。僕も通っていた幼稚園が、一番最初に「早期教育」を取り入れて大成功して、プレスクールから入れておかないと順番待ちで入園できない・・というくらい人気な園になっていました。

しかし私は、甥っ子姪っ子達が、その園で国の首都とか国旗、九九・・とか無意味な記憶の練習をしては、その後3,4年ですべて忘れ去ったのを見てきているので、早期教育はしないような真逆のタイプの幼稚園を探すようになったのですが・・。


一方、自然保育的な幼稚園は、やっぱり打ち出す内容が地味。
結局、遊ばす・・だけなので何も勉強させないですしねぇ~。

 

自然保育的な幼稚園でも、モンテッソーリ系の園は教具を使う&信者がいるのでそこそこ人気のようなのですが

 

うちの通う園のように、単に遊ばせる・・自然を大切にする・・だけでは、集客は厳しいみたい。

だから全園児で50人そこそこしか集まらないんだけど・・・でも、言いたいのは
「本当に良い幼稚園なんだけどなぁ~。」

 

妻と幼稚園選びをした時に思ったのは、とにかく実際に園に行ってみて、園長先生や先生を接する機会を多く持つ事で、パンフレットに書いてある事ではわからない、色々な価値観が見えてくるなーという事です。

 

人付き合いでもそうですけど、初対面のときは良い事ばかりが見えますが、実際の価値観は何度か接しないと見えてきません。

 

実際、こんなことがありました。
妻も結構ミーハーな人なので、最後まで設備が整った違う園と、今通っている園と迷っていました。

私立の小学校の付属園なのもあり、綺麗な校舎と設備、プールなども小学校が横にあるので広々としている。それに英会話も体育教室もある。

妻は一時期、かなりその園になびいているようでしたが・・

でも、園の本質の価値観なんかは園庭開放などに長く通ってはじめて見えてくるものなんですね。


何かの折りに、その園では子供達が 小学校になっても授業中に走り回ったりする子供にならないために、幼稚園の時からトイレに行きたいときは、手を上げて一列に並んでいく。

 

廊下を歩く時も、左側を一列に並んで・・とかを年中さんから教えるそうです。

5,6歳の子供に廊下を一列に歩いてトイレに行く・・これを僕と妻は、とても良い価値観とは思う事ができませんでした。

園長先生も、やり手のキャリアウーマンといった感じで、子供の事が好きで園長先生をしているというよりは、これは邪推かもしれませんが、私立の小学校・中学校があるグループ校の中で、ポストを与えられているという印象しか持ちませんでした。

一方、今通っている園では、少し発達障害がある子供さんも何名かいらっしゃるのですが、そんな子供達が自由に園庭に出たりしても、お咎めされる訳でもなく、

 

逆に園長先生がつきっきりで見守って、その子供達が満足するまで付きそう・・・・というスタンスでした。

妻もその園長先生のスタンスをみて、安心して子供達を預ける事ができるのは、最新の施設とか、早期教育などのサービスでもない、やっぱり信頼のおける先生達がいる所だな・・と考えるようになり、今の幼稚園に入れるようになりました。

 

実際 入園してみて、園児募集には苦労しているようですが、バス通学を始めたことで、僕たちのように早期教育を疑問視している親層が3分の1くらい遠方から通うようになり、なんとか幼稚園を維持できているという状況です。


(今年次女が入園したのですが、定員少しオーバーして2クラスになってました)

また、先生達や、通わせているお母さん方に、卒園生がとても多い・・のも特徴です。

こういうことは、パンフレットで見ても、まったくわからない見えない事だと思いますが、良い幼稚園の特徴なんだろうなーと思っています。

通っていて、本当に良い幼稚園だな・・と思う幼稚園に巡り会えたことは、子供達にとってもきっと良い思い出になると思いました。


でも、結構 そいいう園は、地味で目立たなくて人気がない・・・。このギャップを感じて、長々を文章を書いてしまいました。

幼稚園選びの参考にしていただければ幸いです

国立付属幼稚園を再受験しなかった理由。通学のデメリットを考える

  • 2018/07/31 17:21
ずいぶん久しぶりの投稿になります
長女も年長になり、楽しく幼稚園生活を満喫しているようです。
幼稚園は色々迷ったあげく、年少で一度受けた国立付属幼稚園を再受験することはしませんでした
同じような環境の保育園を私立幼稚園で見つけたのが、その理由です。
それまでは、国立幼稚園の広い校舎でのびのびした環境が、都市部の私立の幼稚園ではとても無理だろうと考えていました。
ところが、自宅からすこし距離はあるのですが、広い校舎で少人数、ドリルなどのお勉強は一切させない、いわゆる「自然保育」的な幼稚園がある事を知りました。
その園の園庭開放やイベントなどに参加すると、園長先生の人柄もとてもよく、子供達をやさしく見守ってくれそうだな・・と感じました。
一方、国立の幼稚園の説明会にも参加したのですが、施設はとても恵まれているのですが、若い男性の園長先生に特段魅力を感じる事はありませんでした。
もちろん、受験説明会というほんの一場面しか会ってないので、国立幼稚園の先生型も、普段はもっと優しい先生方だという事はわかっています。

それより、自分なりに気持ちの変化を分析しますと、いわゆる「自然保育」的な国立幼稚園とコンセプトが似た幼稚園をみつけたことで、国立=理想的で完璧 というイメージから
ほとんど同じようなコンセプトであれば、わざわざ受験なんかして、毎日遠くまで送り迎えする必要のある国立に行く必要あるのかな?と冷静に考えるようになったという訳です。

冷静になると、国立小学校受験の免除という特典にも、やはり大きく影響されている自分に気がつきました。
小学校受験免除ということは、自動的にエスカレーターで上がれるので中学受験もしなくても良い
とにかく公立中学校が荒れている地区に住んでいるので、子供に負担なく幼稚園から入る事は、大きなメリットだと心の中の片隅にいつもあったのは紛れもない事実でした。

最後までそのメリットを手放してしまう事に悩んだのですが、見つけた「自然派」保育の園長先生と話せば話すほど、我が家と近い価値観で園を運営されている事が実感できましたので
子供達が楽しい幼稚園生活を送っている姿を、どこよりも具体的にイメージする事が出来たのが決め手になりました。

というわけで、、、国立付属の幼稚園は、2回目は受験もする事もせずに、今の通っている幼稚園に入学申し込みしました。
実際、1年少し通っていますが、とっても良い幼稚園で全く不満はありません。
それに、自転車で送り迎えするには片道15分かかるため、バス通学を選んだのですが、
家の前までバスが迎えにきてくれる事が・・・2歳の次女がいる我が家には本当に有り難かったです。

(逆に・・・もし長女が年長の時に国立幼稚園受かってたら・・たぶん送り迎えの大変さに耐え切れただろうか・・と今になって思います。
 次女も含めて受かってたら、5年間 毎日の送り迎えに片道40分。 一般家庭である我が家にはかなりの負担になったでしょう。

 だから、国立の小学校もそうですが、通学圏内の距離(幼稚園だと片道30分 小学校だと片道40分かな?)でも、ぎりぎりの距離のお宅は、
こどもの移動の負担も、かなり冷静になって考えてから受験されたほうがいいな・・と冷静になった今、思う次第です)

追伸
ただ、幼稚園受験はあきらめた私も、小学校受験はどちらかというと前向きに検討しておりました。
姪っ子・甥っ子が通っていた小学校の悪口を、姉から散々聞かされていたからです。
でも、まさしく受験しようかと対策など考えようとしていた時、事態は変わるのですが・これはまた次のお話。
 
 

幼稚園の遠足のお菓子の問題・・・・・

  • 2017/05/19 15:21

幼稚園の遠足のお菓子の問題・・・・・

4月から年中さんになる長女が通っている幼稚園で、入園前から1つだけ我慢していたことがあります。それは給食が仕出し弁当だということです。

この園は非常に小さい園で、なんと年中は16人しかいません。年中からの入ったのはたったの3人。

だから、とてもじゃないけど料理施設を造るのは難しい・・のと、
給食をとるにしても、週に一回はお弁当で、園でとれたジャガイモを調理して食べたり・・というイレギュラーな行事もあるので、仕出し弁当に仕方なくしている。

だから、食育はご家庭でしてください・・という説明をうけて、まー仕方がないな。この部分だけは我慢しようと納得して入園したのです。

ただ、先週に親子遠足があり、はじめて妻が他の園児のご家庭と行動を共にして、衝撃を受けて帰ってきました。

お弁当の後に、「お菓子タイム」なるものがあり、お菓子を大量に持ってきて他の園児と交換するのですが、ハイチュウ、やらタケノコの里など、園児が食べるとは思えないお菓子を持ってくる家庭ばかり・・・

しまいには、暑いので 自販機でファンタを買う親子に、もう妻は拒絶反応を起こしてしまい、皆の会話に入れなかったそうです。

「うちの子は無菌状態だった・・・」とぽつり。

確かに、ちょっとウチの家庭は、食事には並々ならぬこだわりがあります。

惣菜や市販の出来合いのモノは食卓には出てきませんし、そもそもスーパーで買い物すらしない。(オルターという自然食品宅配便で購入)

マヨネーズやジャムなども出来る限り自家製で,妻が造ってくれます。

もともと僕の母が、手作り大好きな人で、僕や姉2人は手作り料理だけで育ってきました。

大人になってからも、市販のものでは美味しいと感じなくなってしまい・・手間がかかっても美味しいと思う料理を自分達で造るのが当たり前な価値観に育ちました。

だから妻の周りには、なんでも自分で造る派の人達ばかりとなり、味噌なんかも全員が自家製で造っているので、世間からすると希少な人種なはずなのですが・・その人達に影響されて妻もなんでも自分で造れるようになってきました。


最近では、ソーセージも購入してなくて、肉を燻製までして・・・
だからちょっと世間的にはウチは特殊なのは理解しております。

しかーし!だからといって園児にハイチュウは良くないでしょう。

そして、そういう家庭にかぎって、「うちの子はお菓子ばかりたべて、ご飯をきちんと食べない・・」といった事を言います・・

それはそうでしょう! 砂糖の甘みは子供の脳にはインパクトが大きい。 市販のお菓子みたいに、砂糖がいっぱい入っていると、そればかり欲しくなってしまうのは当然です。

多くの歯医者さん、お医者さん達が、4才まで砂糖を控える食事を推奨しています。

砂糖を知るのは大きくなってからで十分。砂糖を控えると、野菜の繊細な甘みを感じることが出来るから、野菜も美味しいとなるのです

うちの子達も、けっして砂糖はゼロではありません。

出来るだけ自家製のお菓子を妻が造ってますが、時間がないときは市販のお菓子も買いますが、ボーロなどちょっとだけ甘いもので十分。それでも子供達はとっても美味しそうに食べます。

その代わり、ご飯は びっくりするくらい食べます。
ご飯のおかわり二膳三膳は当たり前。
それでも、一番クラスで細いほうだと思います。

(よく園児で 小太りな子が多いのは・・お菓子の食べ過ぎです。間違いなく。)


本筋に話題を戻しますと、うちはこの幼稚園の、自然派的な要素に惹かれて入ったのですが・・・

たった一つ大きな価値観のずれ・・それは周りに食事に関して興味がある親が少ない・・という事です。

ちなみに、知育系の近くの幼稚園は、食育にも力を入れているのですが、遠足時は、おやつは持参禁止だそうです。

知育ありで食育あり か 知育なしで食育なしか・・の2択。

知育ありは・・・私は無意味どころか有害と考えているので、知育なしで食育なしを選んだんだけど、妻のいうように「無菌状態」の私達にとって、おやつにハイチュウ持ってくる人たちとの価値観をすりあわせるのは難しいだろうな・・と感じるのでした。

妻は、園長先生に 「おやつなし」にするよう相談してみる・・といってますが、まー無理でしょうね。

ちなみに、妻は同じような悩みがないか、ネットで検索したところ、ヤフー智恵袋かなんかで、同様の相談者に、お菓子をあげないほうがかわいそう・・というようなヤジばかりだったそう。

まーヨソはヨソ人、ウチはうち。でも4才にハイチュウは絶対によくない。

子供の一生の食習慣に響くので、砂糖は控えましょうね。 

 

幼稚園選び

  • 2017/05/19 13:33

4才の長女は、4月から幼稚園に通っています。

久々の投稿なので、幼稚園選びについてもお話しますと、3年保育時には、国立附属幼稚園に行ってほしいなーと思って受験したのですが、(受験とはいっても抽選だけ)、あえなくダメでした。

下が1才だったので、もう1年は家にいるほうがいいよねということで、年中から幼稚園に通うことに決定。

当初は国立を今年受験しようと思っていたのですが・・・

(小学校に受験なくて自動的に上がれる・・のと都会の中の大きな園庭に憧れからです)

結局、国立幼稚園の受験も必要なしと考えを改めて、違う幼稚園に通うことになりました。

園庭開放でいろいろな幼稚園に妻が子供を連れてい遊ばせていると、幼稚園のカラーが見えてくるようになります。

現在通う幼稚園の園長先生は、うちの家庭方針と一番近い感覚・・どんぐりとも近い。

いわゆる自然派?の幼稚園とでもいうのでしょうか。

知育なんかさせずに、園児にはゆっくりと自由に遊ばせる・・といった方針で、特に惹かれたのは園長先生の人柄と、月に一度のイベント。

それは大きな緑地公園にバスで遊びに行く・・遊具なしの野山で、毎月遊ぶことで、季節の変化も感じる事ができるというものでした。

都会暮らしなので、子供達には自然環境を与えたいと思っている私には願ってもない幼稚園だと思い、惚れ込んで入園を決めました。

もちろん、園長先生の人柄は月一のイベント以上に心強く、先生達も園長先生を慕って先生をしている・・といった方々で、どの先生にも子供達への優しく、子供の成長を見守る姿勢が感じられました。

さて、長い長い前置きでした。次に続きます


小学生のプログラミング授業必修化について思うこと

  • 2016/07/06 17:11

 

2020年から 小学校でのプログラミング教育が必修化されるそうです。

私はこのニュースを聞いて、文科省はアホか?と思いました。

その理由は主に2点ほどあります。

一番先に思うのは、AI(人口知能)が、これから人間に変わって単純作業をこなしていく時代が、
20年後や30年後の話ではなくて、5年後といったレベルで、ほぼ間違いないだろうと予想されること。

「だったらプログラミングは必要になるのでは?」と思った方は、文科省の役人と同じで大きな勘違いをされています。

コモディティ(商品)の技術レベルが上がれば上がるほど、逆に使う側のユーザーの能力は必要でなくなると思います。

それは、ここ10年のインターネットの歴史を振り返れば明らかだと思います。

インターネットが広がる前は、パソコン通信というある意味PCオタクだけのクローズドな世界でありましたが、
インターネットが発展するうちに、`Cの技術を持たない万人が参加できるオープンなものに発展してきました。

そして、技術が発展すればするほど、ユーザーにとって知識が不要で扱いやすいものになってきているはずです。

具体的に例をあげると、ホームページを造るためには、HTML言語を学んで、サーバーの知識を得て、と色々面倒くさいことを覚えて
やっとのことで、発信するためのプラットフォームを持てた訳ですが、
今や、ブログを使えば、HTMLを全く知らなくても簡単にホームページくらい持てます。

デバイス的なものも同様で、PCを扱うのにはある程度の知識は必要ですが、スマホのタッチパネルを捜査するのは赤ちゃんでも出来ます。

したがって、私が想像する未来は、ユーザーとしてITと接するだけなら、プログラミングなど全くしる必要はないくらいユーザーフレンドリーな世界であり、
ユーザーがプログラミングの知識を持っていても、使い場所がないと思うのです。

一方、ユーザーとしてでは必要なくても、開発する側の人間がもっと多く必要になるから、その下地としてプログラミングを小さい頃から教えたほうが良いという意見を聞きます。

これもはたして本当でしょうか?

私が想像するのは、とてつもなく技術が発達すると、それを理解して商品化するくらいの知識を得ようとすると、
成人してから会社で最低5年~10年は毎日仕事として勉強が必要なレベルであり、それこそ少しプログラミングをかじった知識なんかでは
まったく太刀打ちできないような専門技術が必要になると思われます。

要するに、技術が発達すれば発達するほど、開発する側には多大な専門技術が必要になり、ユーザーとの知識差は大きくなるばかりであり、
いくらプログラミングの基礎中の基礎を覚えたところで、その程度の知識では、ゼロに等しいくらい使う機会がないのです。


なぜそう言い切れるのでしょうか?実は、私が実際にそのような経験をしたからなのです。

私はWEB関係の仕事をしているのですが、HTMLの知識など、ある一定レベルの知識を専門学校に通い学びました。

そして、その知識で10年くらい前までは、かなりその知識で優位に仕事を進めることが出来ていました。

しかし、WEBの世界も急激に発展しました。スマホも登場しました。するとどうなるかというと、一人の知識ではとてもすべてをカバーできる知識・情報ではなくなり
それぞれのエキスパートが必要になってきます。

わかりやすくいうと、一つのHPを造るのに、10年前までは一人でもそれなりのものを作れたのですが、
現在では、デザイナー、コーダー(コーディングする人)、プログラマーと 最低3人のエキスパートが必要となり、
必至に勉強しなければ、5年かかってもその道のプロとはなれないほどのスキルが必要とされます。

そうです。技術は発達すればするほど、専門性が増していき、細分化していくのです。

そしてさらにやっかいなのは、技術をエキスパートになるレベルでマスターするのには、努力だけではなく、適正や才能も必要になってくるのです。

そこでもう一つの議論が発生します

小学生から基礎勉強する事によって、エキスパートになりうる人材を増やす事はできるのか?という事です。

私はこれにも疑問を抱いています。

プログラマーというのは、かなり向き、不向きがありまして、特殊な才能といっても過言ではありません。
初歩は誰でもできるのですが、高度になればなるほど、限られた人だけが出来る世界なのです。

私は2人の優秀なプログラマーと仕事で付き合いがあり、その頃は私自身もプログラムを少し勉強していたこともあり
根堀葉掘り、勉強年数などを聞いたことがあります。

一人は大学時代に趣味で始めたらプログラムにハマってしまったそう。
もう一人は、仕事を初めてから、案件をこなすうちに、こちらも独学で身につけたということでした。

そうです、どちらも20歳を超えてからプログラミングを始めて、さらに学校など行くこともなく、本を読んで独学で身につけた・・・というのです。

出来る人は、学校で教えてもらわなくても、自分で出来てしまうんです。

そういうことも踏まえると、この小学校でプログラミングを教える・・ことは、本当に無意味にしか思えません。

そして、重要なことは、プログラミング授業をする時間が増えるということは、他の授業が減るということでもあります。

そこで私の大きく懸念するのは、算数や国語といった重要な授業に影響がでるのでは?という懸念です。

算数と国語。この2つは、将来身につけなければならない必須の授業ですし、論議的な考え方を学ぶ事ができます。

その意味では、実はプログラミングの授業をするよりも、算数や国語の授業を増やしたほうが、将来のプログラミング能力は上がるのではないか?と思うほどです。

すなわち、小学生にプログラミング授業を実施する ということは、将来 全く役に立たない、しかも古い技術を教える 代わりに
プログラミングにも必要とされる論理的思考を鍛える機会を削減してしまう可能性がある。

こんな本末転倒なことがあっていいのでしょうか?

私は小学校の英語もどちらかというと反対ですが・・・プログラミング授業はアホすぎます。

どうにかなりませんかねー

 



テレビをリビングからなくしました。~どんぐり倶楽部を初めてからの変化~

  • 2015/04/18 14:45

 

テレビをリビングから無くす。。。

たった、これだけの事なんですが、、、妻の猛烈な?反対があり、半年くらいかけて説得して、最後は私が押し切って、なんとかテレビを2階の部屋に移動しました。

家電のひとつのテレビ・・・これをなくすことが、すごく大変だったというお話です・・・。

まず、そもそものお話として、なぜ テレビをリビングから無くさないといけないのか・・・と思う人が大半だとは思います。

その理由として、明確な答えは持ち合わせてないのですが・・・

なんとなくの私の考えですが・・

娘が2才を過ぎた頃から、1日30分と決めて「しまじろう」のDVDを見せていたのですが、

もっと見せてくれ~と 愚図るようになってきたこと。

ワールドワイドキッズのDVDも、たまに見せていたけど、どんぐり倶楽部の影響もありまして、英語の知育は全く必要なし と判断した事。

幼稚園とかに行き出すと、周りの友達の子供が「妖怪ウォッチ」とか「アイ活?」の話題した時に、テレビを観る習慣がつきそう。
その前の段階で、テレビを見るって習慣をなくしておきたい。

そして子供だけではなくて私自身の為でもあります。

リビングにテレビがあると、どうしても11時頃からニュースをみて、

そのままバラエティを見て・・・てなると1時くらいまで観てしまう。

自制心がないのですが、テレビがなければ・・・と思う事が多い。

と、まー子供ではなくて、自分のさぼりクセを直す為でもあるんですね。。

それで、いつか無くそうとは思っていたのですが、

タイミングを計れずにおりましたところ、良いタイミングがやってきました。

妻は、次女を産む前から3ヶ月ほど里帰りしており、妻の実家では、おばあちゃんに畑仕事やら料理やら色々遊んでもらって、テレビ観る機会はぐっと少なくなってたので、このタイミングしかない!てずっと思ってたんです。

 

でも、妻が言うには、夕食を造る時、ちょっと手が離せない時に

「しまじろう」か「ワールドワイドキッズ」のDVDは強力な手助けとなっていたようで、

テレビをリビングから無くす・・・と ぽろっと言った瞬間に、

驚くほどの感情の抑揚があり、

次女も出来た今、テレビなしで 家事なんか絶対に出来ない! 」と妻が泣き出す始末。

まー、よくよく考えてみると、この頃は 「産後うつ」な状況だったのだと思います。

妻が発せられるネガティブな思考のオンパレードに、いったいどうしたんだ???と戸惑う私。


悲観的な事ばかりを想像してしまうんでしょうねー。家に戻ってきてから、大変な状況になるって事ばかりを想像していたみたいです。

その妻の状態を知らずに、私が「テレビを無くす」って発言をしてしまって、余計にネガティブな妄想を増大させてしまったんですね。

とりあえず、そのときは情緒を安定させるために、テレビの話は辞めにしましたが、私もしつこい性格なので決してあきらめません。

何度も妻と言い合いになりましたが、

最後には、1週間だけ テレビを2階にして、それでも必要となったらリビングに戻しても良い・・という条件付きで

やっと リビングからテレビを撤去できました。

で!!!!!!

その効果は 思った以上にあったんです。

まず、テレビがないってことに、娘も気付いたのか、

「しまじろう」のDVDを観たいってのを全く言わなくなりました。

「テレビがないねー」と あきらめモード。

さらに、ボクも 予約していた番組を夜中に観るという習慣がずっとあったんですが、ほとんど観なくなりました。

どうしても観たいときだけ、2階に行くか、ワイヤレスの小さい画面で、寝室で少しだけ観たりするくらいで、

テレビを観る時間は 10分の1くらいになりました。

次女は、はじめから テレビがないので、テレビを観る習慣はつかないでしょう。

 

そして、妻は・・・・ なんやかんや文句は言ってるのですが、youtubeで音楽聴いたりするくらいで、テレビなしでも意外にもいけるな・・・と

認めてくれました。

いやー本当にありがたい。

会う友達に、「家にテレビがない」と言いまくってるようですが・・

実際には2階にあるんですよ。必要であれば観れます。

一旦戻してしまうと、二度とこの状態に戻れないと思いますので

このまま 続けていきたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教えない「英語教育」市川力著~英語教育の開始時期は小学4年生以降~えるようになるためには~

この前に読んだ、市川力さんの「子供に英語を教えてはいけない」があまりにも良かったので、すぐさま次作となる「教えない 英語教育」を拝読。

とは言っても、この「教えない 英語教育」も2005年発売で 現在(2015年)から10年も前に販売されている本です。


前著の「子供に英語を教えてはいけない」は、著者がアメリカで、日本人からの留学生向けの塾において、(小学生~中学生)に国語を教える12年間ほどの体験をとおして、バイリンガルになるためには、思っているほど簡単ではなく、早ければ早いほうが良いというのも、思い込みだと主張した著者が、今度は 実際に日本で大人な英語を勉強するには、どの時期か、どのようにすればいいのか、など より具体的に書いた本です。


いやー、本当に この本を読んで良かったと思いました。

この本を読んで、何が私の中で大きく変わったかというと、娘に英語教育をするのなら、具象思考から抽象思考に変わる時期 つまり、10歳からが 最適だなと思うようになりました。

私もこの本にあるように、英語教育は「早ければ早いほうが良い」「小学校低学年で留学すると、英語ペラペラになって帰ってくる」 というような幻想を持っていた1人です。

こういう価値感からなかなか抜け出せなかったんですが、この本で 完璧に 早期英語の洗脳から脱する事が出来ました・・・。

記録として、興味深い所をご紹介しますと・・・・

早期英語教育が もてはやされるのは、単語やチャンツレベルでの発語、発音が良いなど、短期間(1~2年)で、子供の変化が親に成果がわかりやすいからである。

しかし、それは 英語が出来る人からすれば、子供が使う英語にすぎない。

日本人が求められている英語の能力とは、自分の意見を主張したり、文章を読み書きしたりする能力であるはず。

「大人な英語」と表現される、この英語の能力は、母国語でも抽象思考ができる小学校4年生(10歳以降)にしかできない能力なのだから、

もちろん第二外国語の英語も、10歳以降にしか 使えるようにはならない。

では、その10歳までに出来るだけ 英語を慣らしておこうとする考え方もあるが、それが非常に難しい事。

なぜなら、子供はすぐに覚えるが、すぐに忘れるから。

そういうことを踏まえると、英語教育とは出来るだけ早くするのが大事ではなくて、10歳くらいの英語教育に一番最適な年齢まで どうやって続けるのか?という後期英語教育が 重要な事がわかってくるのだが、

早期英語教育を実践している親のほとんどが、小学校以降の英語教育については無策である事がほとんどである。

例として、3歳くらいからの早期英語教育をしていた子供が何歳くらいまで英語を続けているか というデータをとると、

小学校1年生で30人 小3で20人 小4で10人と、半減していくこと。

さらに、辞めた子でも、英語になれているから役に立つだろうと大人は考えるが、実際には逆で、英語が嫌いになっている子供が多いとの事。

そうなれば、それまでに良かれと思って親が行った早期英語教育は、多大な時間とコストをかけて、結果的に子供の英語教育に大きなマイナスを残すリスクがある。


たとえ、10歳になるまで、めでたく英語に興味を持ち続けれたとしても、

では3歳から10歳まで培った英語力と、8歳から10歳まで勉強した子と10歳時点での英語では、少しは差がでるかもしれないが、

大人な英語力は結局10歳以降にしか培う事ができないので、それまでの差はどんどん縮まってしまう事が推測される。

じゃーその少しだけの差のために、多大なコスト、多大な時間をかけて3歳から英語をして割に合いますか? いやー合わないでしょ!と主張されています。

さらにこの著者の主張で、興味を持ったのは、一見 英語ペラペラに見えても、学校の授業など 抽象化が必要な事を英語で行おうとすると、出来ない子がほとんどだそうですが、日本にいるだけでは、その違いは わからないですよね?

英語教育が成功したと言われている子供の多くは、スカイプでの英会話で 英会話できると、英語が出来るという判断が下されますが、それだけでは本当の英語力はわからないんですから。

私は英語教育で 懸念するのは、母国語が 思考能力と密接に繋がっているという事実です。
さきほどの例でも、英語では 授業が理解できなくても、日本語で出来れば問題はありません。ただ、幼少から英語ばかりしてきて、日本語の国語力も落ちているとしたら・・・・

これは本末転倒どころの騒ぎではありません。

なにより、母国語の国語力、思考能力の形成が最優先です。


いやー、私なりに本当にスッキリしました。


人間 見たいものしか見ない傾向にありますよね?私も早期英語教育を良いと 3,4年は思っておりましたので、

英語教育より「母国語の国語が優先」とする識者の意見は見たことがありましたが、何言ってるんだ?時代錯誤な意見だなと素人意見を爆発させていました。

そのときの私の論理は、「スイスやフィンランドでは3,4カ国語操るから、

思考能力に影響が出るのなら、その人達はなぜ問題でないのか?」というものでしたが、それもこの本には答えが書いてありました。

要するに、国全体が2カ国語以上の言語を使用している場合(スイスやカナダのケベック州など)は、幼少から成年になるまで、日本でバイリンガル教育を受けてるのとは比較にならないくらいに多大な時間をかけて学んでおり、必要性もある。人との意思疎通も日常的であるため、
それくらいの環境では真のバイリンガルの養成も可能であるとしている。

ただ、だからといって、日本において 同じ環境を作れるかというと、不可能だということ。インターナショナルスクールに通うとの選択肢でさえ、この環境には到底及ばず、大抵はどちらかの言語を母国語として、もう1つ(日本語)のほうは、ほとんど話さなくなってしまうか、話せても、読み書きや抽象化できる能力がないとの事でした。

いやー読んで本当に良かったです。

突然ですが、私の今となっては恥ずかしい歴史を紹介します。

娘が1歳半のときに 幼児英語で有名な ベネッセのワールドワイドキッズの申し込みをしました。

そして、それでもDVDが足りないかな??と思って、オークションで 4万円くらいの
「gogoの不思議な冒険」を落札して、スタンバっておりました。

でも、直後にどんぐり倶楽部に出会って、英語教育も否定されていたので、とりあえずは実践を辞めました。(WWKもすぐに退会、半額返金)

それでも、自分のなかで、いろいろな早期英語のブログを拝見しつつ、やったほうがいいんではないか?と思いつつ、でも確信が持てないので、子供には何もさせず、両方の主張を本を読んで、どちらの主張が自分に納得できるかな~と思いながら今日まできました。

だけど、今日を持って、自分の中で確信を持って 「早期英語教育はしない」との結論に至りました。

私のなかで、教育とは「一貫性を持たせる」事が一番重要との思いがあります。

子供は敏感で繊細です。しかし幼少期の子供は、親に反抗する術と能力を持ちません。

だから、何事も検証しないで、やみくもに子供にさせてはいけないと思っています。

無駄な事を、我が子に、時間と労力をかけてさせるわけにはいきません。

親が出来る唯一の事は子供より長く生きている分、長期的な視野にたって、

子供に正しい方向での努力を促す事だと思っています。

よくありがちな、無理矢理な勉強と勉強量だけ与えて、「出来ないのは子供の努力不足」とする親にだけはなりたくありません。

娘が成人した時に、良い子育てをしてくれた・・と思ってくれるような、、、そんな関係を目指して 頑張りたいと思います。

 

3才の絵の描き方

  • 2015/02/10 15:21

なぜ日本の若者は自立できないのか岡田 尊司 幼児英語教育は必要ないと思うようになる。

なかなか興味深い本である。

日本の教育システムを完全に否定、時代遅れと断言しているのだが、

著者のように東大と京大の2つの学歴を持つ人が書いたと知って驚いた。

つまり、通常は落ちこぼれが言うような発言を、その受験システムを突破した人がその試験システムを否定しているのだから、意外に思ったのである。

だが、著者が精神科医と知って、なるほど と納得した。

机上の理論ではなくて、著者が精神科医として患者と対峙してきた症だから、なかなか説得力があるし、その原因の一旦が日本の画一的な教育にあると現場の医師として何度も思ったのだろう。

この本から 著者は日本の教育がどう変わるべきかと模索していることがよくわかる。

著者は、北欧の教育のように、中学高校での入試テストを廃止するや、だれでもが普通科をめざすのではなく、本人の特性をみて、技能学校へすすむ道をつくるっていうのが理想と主張されており、私もまったくそのとおりだと賛同する一方で、ここまで 染み付いた日本の受験システムを、廃止できるなんて、実現できるのか?とも思った。

でも、私も本当に変わって欲しいと思っている。

著者のいうとおり、英国理数社の五科目ばかり 勉強しても 社会に出てもまったく役に立たないし、不得意なものは、早くに違う道を探したほうが、よっぽど本人のためだし、国益にもなる。

後半は、諸外国の教育システムと考えを網羅していて、こちらも参考になる。学校といっても、ぜんぜんしていることが違うのだ。そういう多様性を知ることだけでも重要だと思う。

特に私が興味をそそられたのは、フィンランドの外国語教育。

3ヶ国語を話せる人がほとんど。しかも母国語は日本語とルーツが同じなので、英語の文法とはまったくことなる言語らしい。

日本が見習うべき語学教育はフィンランドじゃないのか?

で、3ヶ国語話せるからといって、英語を習うのは小学校3年かららしい。

イギリスのテレビが国内で文字つきで流れているので、英語シャワーを浴びているとはいえ、全員が英語を話せるのに小学校3年生からとはすごくないか?

 みんなあせって0歳から始める必要なくても、フィンランドは小学校3年から初めて ほぼ全員英語が話せるようになるのである。

そう考えると、0~3歳から 母語以外の言葉を教える必要性は、デメリットを考えるとまったく必要性はないように思える。

私も 子供に英語教育は結局しないと思う。しても小学校4年から(学校と同時か少し早いくらい)で十分である。

 

辞書引き学習で子どもが見る見る変わる 深谷 圭助

辞書を引いて国語力を上げようという方法。たしかに、小学校3年になってから、辞書の引き方を画一的に教える方法では、辞書を活用できるようになるとは思えない。

だから、もっと早くから、「知っている文字に付箋を貼る」方法で、子供自ら辞書に興味を持たせるようにできる というのは、良い方法だと思いました。

自ら知りたい、楽しいと思う勉強方法自体は、どんぐり理論的にも沿っていると思うので、小学校1年になって辞書を与える時には、著者が提案する 辞書に興味を持たせる方法を試してみようと思いました。

ただ、、、すこし気になる点。

ここでも著者は、早ければ早いほうが良い・・・的な論理が先行している。

5歳~7才が適齢だが、3歳からでも良いと書かれている。

これは正直言って全く賛同できなかった。3歳ならおもちゃで遊ばせたほうがよっぽど良いでしょう。

文字を3歳から読めるようになってもなんの良い事もないと思いますし、デメリットのほうがあると思っています(系統的な知育を5歳以下にすると、後で理解が薄くなる byミスエデュケーション)

私が思うには、小学校1年生のスタートのタイミングが一番良いんじゃないでしょうか?

それと、量をどんどんしていくのを推奨するのも、我が家の方針にはちょっと合わないな・・・と思いました。

確かに、著者がいうとおり、導入当初は、辞書の仕組みを体感するために、一定期間 辞書にハマる 経験があるのは良いと思いますが、

著書に記載ある第三段階の付箋には興味がなくなり、関連語に興味を持ち始める・・・の段階になれば、我が家的には十分かなと思います。

逆にそれ以上、写真にあるように何万語も調べまくって量を追い求めるのは、違和感を覚えてしまう。。

じっくりゆっくりのどんぐり理論には合わない勉強法になってしまう気がしました。

結論
我が家では、辞書に興味を持たせる方法は参考にさせて頂いて、辞書の仕組みを体感することは取り入れたいと思いました。
ただ、量は追い求めず、暇つぶしに5分10分読む程度で十分。たまに読むくらいでも十分だと思います。

低学年の時は、聞かれたら口で教えるでしょう。まー色々な辞典があるんだな・・くらいで良いと思います。

なんでもかんでも辞書で引けとは、ならないように気をつけたいと思います

 追記・・・

糸山先生のブログを探したら、辞書引き学習についてこのようなコメントがありました・・・

-------------引用ここから-------------------

●辞書引きも同じです。辞書は引き方さえ一度分かればオワリにします。無駄な時間を使いすぎます。そんな余裕はありません。思考モデル(思考回路)作成をすべき時期に知識の蓄積(最低の思考回路であるコピー回路の強化)と付箋を付けるという単純作業だけをして勉強をした気分になっているだけです。最も進むべきではない小学校の未来です。

--------------ここまで------------------

反対されているようでした。やっぱりね。

確かに付箋をつける・・てのはコピー学習にあたるように思います。

やっぱり知識偏重の教育は、先生のおっしゃるとおり、させないほうが良いのかもしれませんね。

やっても、辞書を与える時に、「知っている言葉を探す」と面白いよ・・・くらいでしょうか。勉強方法では取り入れません

 

次女誕生 ~すっかり早期教育から離れそう~

  • 2015/02/06 19:30
  • カテゴリー:次女

 

2015年1月21日、次女が無事誕生しました。

名付けは二人目だからと慣れる訳でもなく、あれやこれやと悩んで

決めました。

生まれたての赤ちゃんは、まだかわいいとか そんなんじゃなくて、ただ小さい、かよわい、小さな小さな存在。

まだ小さすぎて個性もなく、パパとしては正直 愛着も湧かないですけど、これからかわいくなっていくんだろうな~~と思っています。

さて、長女と次女は 2年半の差なのですが、その2年半で、私は子供の教育について全く価値感が変わってしまいました。

どんぐり倶楽部を知ったのは2014年4月(長女1才半)の時でしたが、

それですっかり考え方が変わったと思っていましたが、まだまだでしたね~~。

どんぐりには賛同するが、やっぱり英語は大事!だから英語だけは早期でする・・・ていうのが半年くらい前だったと思います。

このブログにも、早期英語教育については 3才くらいからしたいな・・・と思っている事を書いたことがありました。

しかし、今は、まったく語学教育をする気持ちはなくなりました・・・・

英語は小学校4年以降の9才の壁を過ぎてからでも十分だと思いました。

ワールドワイドキッズとか、半年分申し込みしましたが、早々に売り払おうと思います。

それと、ミスエデュケーションを読んで思ったのは、長女の幼稚園も、3年保育ではなくて、2年保育にしようと思いました。

なんと、長女を9ヶ月から知育系保育園に3ヶ月預けた事がある私が・・・

(今となっては黒歴史ですが)

3年保育を辞めて 2年保育で十分なんて考えになるとは・・・・

長女の時にには思ってもいませんでした。

早ければ早いほうが良い・・という早期教育に疑問を持って1年弱ですが、それでも幼稚園まで早期教育にあたる・・とは思いもよりませんでした。

私の家から一番近い幼稚園は、知育系幼稚園で有名です。年長では九九を覚えさせたり、色々な駅名、国旗を覚えさせたり、通った甥っ子、姪っ子からは良いと聞いてますが・・5才以前の子に知育的な教育を受けさせたくない私は、2年保育でも 通わせるかどうか迷っています・・・

1年保育がベストだと思っているのですが・・・

長女にも、勉強などさせずに、小学校のあいだは遊んで楽しく生活させたいと思います。

さっそく、おままごとセットを購入しました・・・・。おもちゃって教材に比べたら本当に安い。。。1万円でたくさんのおもちゃが買えました。

長女と次女とで遊んでもらえたらなーと思いました。

現在、どんぐりPILOTを受講して、どんぐり理論を勉強しています。

勉強しても勉強しても、深みがある理論だと思います

子供が幸せになってほしい。親が子を思う気持ちは皆同じなのですが、そのアクションが子供にとって良いかどうかは別なんです。

私は新たに子供と遊ぼう!と心に決めました。知育なんで絶対にしません。

次女の誕生と決意のご報告でした。

早期教育の弊害の論理を知るに最適<ミスエデュケーション―子どもをむしばむ早期教育 1

子育てに関わる全員がまず読むべきと私は思う良書。

特に早期教育に興味を持った人は、早期教育の理論を相対化する為にも是非この本を読んでから、早期教育を始めるかを決断して欲しい。

私も、早期教育に興味を持った時、早期教育の弊害も調べてみようとしたが、色々な専門家が「早期教育には弊害がある」とは言っているが、論理がないので納得が出来なかった。
むしろ、早期教育の業者がよく言う「3才までで、脳のすべてが決まる」や「能力開発」「IQを上げる」という論理のほうが正しいように思えた。「教育は早ければ早いほうが良い」という大人の論理を幼児教育に、当てはめていたのにも自分で気付いてなかった。

この本のすごいところは、「早期教育の弊害」を論理的に、データ的に説明してくれている所だ。30年くらいのデータを取って検証しているのである。
そして、全否定ではなく、本当の早期教育とはどのようなものか・・まで言及している。

私自身、弊害いっても大した事にはならないだろう・・と軽く考えていた親である。しかし、現在は、早期教育には、取り返しの付かない弊害があると思っている。詳しくは本を読んで頂くしかないが、他の人の参考になるように要約を感想に記載しておく。

それと、この本には、ドーマンのフラッシュについても記載がある。幼児教育は30年も前から存在していたということがわかるが、なぜ早期教育の業者は30年も前から存在しているのに、現在の偉大な成功モデルを示さないのか?3才までが勝負を、親を急がせるのか?
そういった事にも、疑問が湧いて来る事だろう。

さて、かなり長い前置きになった。

まず1991年発売(本国では1899円)の本だが、25年たった現在(2015年)でも全く内容が色褪せていないのに驚く。

作者は この本を出す時点で25年余り 幼児教育に携わり、色々なサンプル(親子の教育)を観てきた経験を本を書いている。

その経験上で色々な親のタイプを列挙しているのだが、

「子供に自分を投影するタイプ」「オリンピックを目指す親」「子供に高価な服を着せて、ステータスを得る親」「子供の成功を自分の手柄にする親」などなど。

まさに、現代と親と全く変わらないではないか。

結局は、親が子供に対して、色々な事を願う内容は、25年前と現在と何も変わらないということか。

それなら、その親子をロールモデルとして、その何年後かにどういう風に育つか・・・ということも、25年前と現代でも 大差ないということになり、貴重な子育てのロールモデルとなることは間違いないと思われる。

もう1つ、この本が優れていると思う点は、幼児教育の歴史的な経緯も書かれているのだが、その教育が取り入れられた時代背景も並行して記載されている事である。

それにより、発売から25年も経った後の現代に読んでも、歴史を振り返る事が出来、当時の時代背景を知らなくても、どのような経緯で幼児教育が考えられてきたのかも、時代背景とともに知る事ができる。

その中で驚いたのは、当時は 3才から4才までのナーサリー(幼稚園)だって、早期教育の一部と考えられている事だ。

そして、5才以下の子供に系統的な教育をした場合、良い事だけではなく、弊害が起こりうると著者は経験から考えているのだが、そのメカニズムについての説明解釈が、今までの疑問をすべて払拭できたくらい、論理的な説明がなされていた。

この点について、要約してみる。

まず、幼児期と6才以上の子供では、脳の働きが全然違う。

系統的な学習を理解できる脳は5才~6才以上。
まだ脳が系統的な学習を受け入れない段階で、系統的な学習をさせてしまうと、脳が消化不良を起こしてしまう。それどころか、系統的な学習を受け入れる段階に進化することを妨げてしまい、脳の発達を遅らせてしまう。

データ的な証明としては、3~4才の脳が準備できていない段階で、系統的な学習を始めた子供達のグループと、5才の系統的な学習を受け入れる年齢に始めた子供達が、8才になった時点での理解力を比較すると、3、4才から初めたグループのほうが、5才から始めたグループより理解力はあきらかに劣っていた。

もう1つのデータとして著者が挙げているのは、現在でも教育の先進国のデンマークは、小学校2年(7才)からしか、文字の読み書きは教えない。
一方、フランスは デンマークより2年早い、5才から文字の読み書きを教えている。
しかし、識字率100%は2年遅れで読み書きを教えるデンマークのほうで、フランスは3%ほど識字できない率が存在する。
(本でも説明があったが、日本語ではこのような事は起こりにくいそう。一文字に対して一語しか発音がないので、語彙数の多さはともかくとして、文字と発話は、一対一でリンクしている。一方、フランス、デンマーク語などは、アルファベットの並び方や子音がつくかどうかで読み方が変わる言葉で、文字が書けない人が一定数存在するそうです)

このように、早期教育の弊害とは、脳の発達段階を無視するため、そのときに発達するべき部分を、発達しなくしてしまう事たと著者は言う。

そして、その弊害は12才くらいになってからしか、出てこないということだ。

 

6才のボクが、大人になるまで

  • 2015/01/26 16:21

此の映画は観るべき映画!

2時間45分という長さを感じさせない。

オールキャストが12年間かけて造った映画だけど、その苦労をあえて出さない作り方が良い。

あくまで自然に、普段の日常の中のストーリーを中心に時間が過ぎていく。

色々な課程、成長が、リアルに描かれるので説得力がある。

良い映画をみた

子どもを伸ばす父親、ダメにする父親

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

これは良かった。この本を読んで思った事は、センスオブワンダー、子供の探究心を引き出すには、大人はとことん子供側に寄り添う必要があるということ。

具体的には、マンガや映画、遊び、そして自然体験を通して、生きていくすべての中に学習が含まれており、机上で教科書の中の事から得る事だけが学習ではないっていうこと。

学習の導入には、まんがや映画を使って、とにかく子供の興味を引く努力をしなければならないこと。

そして、子供がしている事が、将来役に立つか立たないなんか、大人の都合の良い尺度で選別してはならないって事。
(コネクティング・ドッツ ・・・その場その場で夢中になっているものが、後になっていつのまにか繋がる)

どんぐり理論のようにスマートな方法ではないのですが、子供目線に立って教育するという部分は似ていると思いました。
(理論がないので、実践するのに難しさがあると思いましたが)

いくら親が正しいと理屈っぽく説明しても、子供はやりたくない・興味がない事が多々あります。

子供に興味を持たせるためにはどうすればいいだろう? そんな視点を存分に与えてくれる良書でした。

まー 男3兄弟だからこその仕掛けがいっぱいなので、我が家の2姉妹に同じ方法が通用するとは思いませんが。
(競わせたり、戦ったり)
子供といっぱい遊んであげたいな・・と思える一冊

長男さんが 始めた 探求型学習も、ラーンネットグローバルスクールの探求型学習と 良く似ており、家庭学習で探求型学習をしてみたい人には役立ちそう。

http://tanqrecipe.com/

http://www.tanqfamily.com/

 

京大芸人、京大少年 

京大芸人・・・大阪ではおなじみの漫才コンビ、ロザンの菅ちゃんが宇治原くんとのエピソードを面白おかしくかいている。文章力がない・・というわけではないけど、すごく平易な文章。
だから、中学生や高校生が読むと親近感が湧いていいんじゃないかと思う。

意識してだろうけど、大学受験の勉強方法についても書かれていて、「高性能ロボット」とも評される宇治原くんの効率の良い勉強方法も紹介されている。

確かに赤本からして、問題のレベルを確認してから勉強を始める。社会は問題を多く解く、理科はじっくりする。など科目によって勉強スタイルを替えるなど、高校生の時代から自分の勉強スタイルを持っているということが、勉強が出来るということなんだなーと思ったりした。

NSCに入らない代わりに、1週間に1回のオーディションに1年間受かるまで応募し続けた・・・というエピソードがあったが、

大学の在学中に、すでに方向性が決まっていたからこそ、このようなチャレンジが出来たんだろうと思いました。
卒業してからだと、不安になっただろうとも思いました。

ロザンも色々な苦労を重ねて今があるんですね。
学歴を持つ漫才師 の肩書きだけでは、これほどまでに長い間、テレビに出続けることは出来なかったでしょう。
少し理由がわかった気がしました。

京大少年は、宇治原の少年時代のエピソードですが、菅ちゃんと宇治原くんは高校生からの友達なので、少年時代は伝え聞きのエピソード。

だから、京大芸人で披露されたエピソードに比べて、現場感というか、臨場感が少ないな・・・と思いました。
京大芸人が面白かったのは、やっぱり菅ちゃんの目線が多く入っているから。
少しもったいない気がしました。

こちらは宇治原くんが実践していた歴史をストーリーで覚えるという方法。

菅ちゃんがまとめました。
ボクも、歴史は マンガから入ると良いと思ったけど、

ストーリーにして全体をとらえるというのは、すごい良いアイデアだと思いました。

これは、中学生などに良いかと思います

 

 

 

どんぐりパイロット2の感想

 

「良質の計算問題集」のルールは、必ず守ることで意味がある。

伝統芸能の型と同じで、誰もが再現できるようにするため。

教育は、子育ての一貫であるので、子育てと教育には統一性が必要。
これは大きく納得。どんぐりを選んだのも、すべてに一貫性があり、子供にとっても嫌な事をさせる必要がないから。

子供は、親に従わなければ、家庭という社会で生きていけないが、その家庭のルールに矛盾が含まれていると、納得できないし、フラストレーションが溜まる。
それが「反抗期である」で済ませていいのか?

不合理なおしつけ的なルールに、我慢する力をつける・・というのが団塊世代のしつけの考え方で、私の親もそういう考え方であった。

だが、子供は表面的には我慢をしているように見せても、納得できないものは納得できないのである。だが、家庭内での弱者の立場から、子供は無理なルールでも受け入れないと生活できないので、従っている風に見せるが、精神的、経済的に自立するによって、その矛盾に反抗していくだろう。

それは、結局は親の発言を軽視化していく事に繋がるだろう。

そうすると、親が本当に助言しなくてはならない時に、子供は親の助言に聞く耳を持たなくなるだろう。

なぜわかるのか?それは私と親との関係そのものだから。

 

私は、自分の娘達とは、大人になっても信頼関係を築きたいと思っている。
子供の意見を聞くこと。子供に選択権を与える事。そして、教育、家庭、社会との関わり方、等の子供への発言に、それぞれに一貫性があり、矛盾していないことに気を配らないといけない。

親だからといって、無理矢理に押しつけるのは御法度だ。

家庭内ルールや家庭内の教育、しつけのルールに一貫性があり、矛盾がなければ、余計な反抗や混乱は避けれると思う。

どんぐり理論は、幼少期から成長期にかけて、長期間の指針となりえる。

そこが最大の魅力と思っている

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

うーん、評判になるだけあって、意外にも良かった というのが正直な感想。

堀江さんの過去のエピソードとなぜそういう思考を持つにいたったかが、正直に語られている。

ただ、その思考プロセスがいかにも堀江さんらしいので、なるほどーと思いながら興味深く読めました。

僕の堀江さんのイメージは、頭の回転が速い(天才的に)、没頭できる力(集中力が桁外れ)。ただ、マイナスイメージとして文化度が低いなーということ。

文化度が低いのは、本人ではなく、環境のせいであるのがよくわかった。

その分、ご本人も書かれているように、ムダな情報を切り捨てて、超合理的にタスクをこなしていける思考回路になっているのだと思う。

仕事についても参考になる考え方はあるが、没頭する力ってのはマネできそうで、なかなかマネできることではない。

堀江さんの「没頭する」力というのが、中学のときにシステム移管する話や、東大に1年で受かってしまうなど、いかに桁外れなものかは、エピソードからは良くわかりました。

その没頭できる力こそ、堀江さんの才能だと思います。

そして、物事を単純化してとられる思考プロセスは、読んでいると非常に単純で、出来そうな気がするのだけれども、その単純化自体が常人である私にはなかなか難しいんだ・・・

でも、まー前向きになるよい本ではないでしょうか。

個人的には、30代というよりは、高校2年~社会人3,4年くらいまでの人が読むと良い本だと思う。

そうそう、東大に入る事は、田舎から脱出して東京で暮らす、説得の材料だった・・ というエピソードがあるが、

大阪の割合都会暮らしの私は、大学に通ってから、田舎から出てきている友人達の多くから同じような話を聞いたことがあり、家から通い易い(交通費安い)とかで大学を選んでしまった僕とは、精神的に大きな隔たりを感じた事を思いだした。

子供の時からの都会暮らしは、便利である代わりに、ハングリー精神はなくなるのは確実だ。

高校生くらいまでに、自分のモチベーションを上げれる、没頭できる物を見つけると良いと思っていたが、大学行く事ではなくて、田舎から脱出することがモチベーションになるとは・・・

決して 本流ではないが、高校生には一番に切羽詰まった状況であるのは間違いない。

モチベーションは、別になんでもいいだなーと思いました。

仕事に関して一番参考になるのは、遠い夢より 今日の一歩ということ。

今日の予定、目の前の一時間を全速力でかけることだけを考えていれば、

大きな夢に近づくのだと。

うーん、成功している人は、大体こういう考え方をしているんだな。

「できない」を取り外すと、いくらでも「やりたいこと」が出てくるというのも説得力があって良かった。ほんとその通りだ。

 

 

 

寝たら治る

パシーマのパジャマを購入したショッップの紹介欄にあったので借りて読んでみた。

私は 「眠りのプロショップ」さんのコラムの知識で、すでに知ってある事も多く、確認するような形で ざっと読みました。

気付いた点は、眠る時のルーティンを造るってのは良いアイデアと思いました。

いつも同じ事を繰り返す事で、脳に眠るサインを送る。起きる時も同様。

眠る時は、部屋を暗くして本を読む。

起きる時は、カーテンを開ける。顔を洗う。など。

眠っている時に かかとを立てとくと良いというのは初めてしった。

でも今のラテックスは、結構 かかとが食い込むので良いのかなと思った。

子供の 敷き布団等をどうしようかが悩む所だなー。

 

 

 

 

 

戦場から女優へ サヘルローズ 感想~ホームレス中学生よりこっちでしょ

これは、娘達が大きくなったときに是非読ませたい本。

貧乏というカテゴリーの本は、「ホームレス中学生」のように 芸人さんが自分の貧しい過去のエピソードを、面白おかしく話すっていうパターンが多い?ように思う。

それは、テレビで話すと 笑える内容でないと、お茶の間が暗くなるし、見ているほうも辛い話ばかりを聞きたい訳ではないから。

でも、このサヘル・ローズさんの本は、ホームレス中学生と同じ、いや、それ以上の貧乏生活のエピソードがあるのにも関わらず、決して 読後は暗くなったりしない。

それは、強烈な親子愛のエピソードがあるから。しかも、その親子は、実の親子ではない・・戦争で身内をすべて亡くした子どもを、戦場で助けた女学生が引き取って出来た親子関係である。

その親子が、全く知らない土地 日本で生活してきた事に衝撃を覚える。

親が子を思う気持ち、その苦労を見て、子が親を思う気持ち。

日本人が忘れかけている 貧しくても心が豊かな日本人の姿を、イラン人の親子から学ぶとは・・・。

そして、最後に強い決意。孤児を減らすんだと。そんな世界が世の中にあるのを皆に知ってほしい。。。

 

ホームレス中学生があんなに流行るんだったら、この本にもっと売れて欲しいな・・・と個人的に思いました。

 

 

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