三つ子の魂百までの本当の意味は?早期教育とことわざ

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2014-07-30 19:30:03

少し本題からずれてしまうのですが、三つ子の魂百までの意味を考えたいと思います。

よく早期教育や知育系のサイトには、必ず「三つ子の魂百まで」だし、3才までの教育が その後の人生に大きく影響する・・・

といったように使われていますが、それって本来の意味とは違うんではないか?と今は思っております。

諺(ことわざ)って それこそかなり昔から使われてきて、その当時からの「あるある」と共感できる現象を 短く表現する言葉だと思うんです。

さて、「三つ子の魂百まで」 を調べますと、「幼い頃の性格は、年をとっても変わらないということ」とありますように

どちらかというと、大人になった人を見て、あー小さい頃の面影が残っているなー、性格は変わらないもんだな・・という風に、現在から昔を懐かしみながら使う、あるある言葉なのではと私は想像するんです。

たとえば、小さい時からしばらくぶりに会った親戚の子供に会って、顔つきや身長は変わってわからなかったけど、気の強い所や、泣き虫なところなど、人間の本質的な部分は変わってないよねー
なんて部分を共感する為の言葉ではないんでしょうか?

ところが、早期教育で使われている「三つ子の魂百まで」は、3才になった時点で、大人になった際の能力は決まってしまう。

もしくは3才までの教育が大人になってからの能力に大きく影響する。

このように、3才が能力開発できるタイムリミットであり、
そのタイムリミットまでに何ができるか・・といったような使い方なのですが、大きく意味を変えているようには思いませんか?

それに3歳って年齢については
大体 ことわざなんて、大げさに分かりやすく造るものですし、
何の根拠もないと思うんですよね。

「ひょうたんから駒」にしても、駒でなくても、なんでも良かったんでしょう。雰囲気を伝えればいいだけの言葉なので。

昔の人からしたら、3才でなく「4才でも5才」でもどっちでも良かったと思うんだけど、分かりやすく3才にしただけだと私は思います。
2才だと、そこまで性格とか分からないので現実味ないですし。

ただ、ことわざの意味自体が、色々時代によって変化するので、どれが本当の意味かというのは分からないのですが、3才になった時点で、大人の能力が決まってしまう・・というような使い方は、昔の方は想定していなかったと思います。

早期教育なんか知るはずもない昔の人が、3才が能力開発のタイムリミットだと思って、まだハイハイしている子に向かって、一生懸命 知育に取り組む今乃親の姿を見たら、間違いなく「開いた口が塞がらない」??ではないでしょうか。。

ちなみに、他に意味が変わってしまった言葉として私が知っているのは

「天才は1%の才能 99%の努力」というエジソンの名言です。

これは現代では、99%の努力が大切なんだ。エジソンみたいな天才でも、努力しつづけた結果が天才になったんだと思われていますが、
実際は、1%の才能が なければいくら努力しても無駄 てな意味らしく、
これも、「三つ子の魂百まで」と同様に、どちらの部分にフォーカスするかによって、意味が正反対となっている言葉だと思いました。

もう一つ、元の意味と現代の約が正反対の言葉として、
「健全なる魂は、健全な肉体に宿る」があります。

これも、健康な体や、規則正しい生活をしている人には、魂も清くなる・・というような意味に使ってますよね?

これも、どちらかというと誤った解釈で定着しているようで、当時の多くの権力者が、むちゃくちゃな力の乱用をするのを見かねて、なぜ健全なる魂が、健全なる体と 同居しないのか・・・健全なる魂を持つ権力者がどうしていないのか・・・といった悲観的な詩だったそうです。

ただ、原文の解釈は、もっと違った意味「色々な高望みをするのではなく、自分の健康な体を望むくらいが丁度いい」みたいな意味もあるらしいですが。

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